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和歌山県南紀白浜の静かな海に、突如あらわれる「夢の城」。 和歌山県南紀白浜の静かな海に、突如あらわれる「夢の城」。 和歌山県南紀白浜の静かな海に、突如あらわれる「夢の城」。

静寂に包まれた海に浮かぶ、時代の夢や理想を乗せた城。人間技が凝縮された夢の集積とも言える姿は、圧倒的美観であり、その美しさを一言で表すことはできない。

夢を見ることが、理想を語ることが、難しい時代だと言われる。しかし、すべての芸術的創造が、夢なくして推し進めることができないように、ホテル川久は多くのアーティストたちの力によって、30年前に完成した。そこは、伝統、情熱、ロマンが詰まったまるで「楽園」のような場所である。

形貌 EXTERIOR

形貌 EXTERIOR

1989年、日本がバブルの絶頂期であった頃「世界の数奇屋」を作る壮大なプロジェクトが始まった。通常、大規模である施工はゼネコンへ一任するが、全ての作業を各業界の一流の創り手たちにオーナー自ら依頼をした。

イタリア人職人の手によって敷き詰められた緻密なモザイクタイルの床、のちのフランス人間国宝である金箔職人の手による壮大なドーム天井、ロビー壁面には、ニューヨーク・メトロポリタン美術館の鑑定で2世紀頃のシリアのものだと判明した貴重なビザンチンモザイク画が埋め込まれている。外壁には中国の紫禁城にのみ使用を許された鮮やかな瓦。こうして、誰も見たことのない、中国・ヨーロッパ・イスラム・日本…と、世界中の匠の技を結集させた理想郷「ホテル川久」が完成した。

敷瓦 TILE

敷瓦 TILE

敷瓦 TILE 敷瓦 TILE

足元には無限の文様世界が広がる。職人たちの手作業によって一つひとつ埋め込まれた、花や幾何学模様のタイルアート。どこをどう切りとっても絵になる、とても気分が華やぐ足元だ。

その他にも各国の優れた職人たちによって生み出された建築作品がホテル川久に凝縮されている。建築であり、アートである幻想的な空間を五感で感じることができる。

職人=表現者である。夢あるものが造るものには意味が込められ熱がある。いま考えればこれだけの職人を、芸術を、民間ホテルプロジェクトに導入するまでの過程はけっして容易なものではなかった。さまざまな紆余曲折があり、多くの問題点もあったが、その夢の理想が世界の職人たちとの間に「共通の目的意識」を育み、様々な困難を克服する力となった。

夢を謳うことのできないプロジェクトは時代を超えて存在理由を示すことはできない。少なくとも人の心を震わすことができない。ホテル川久の建設過程は21世紀の楽園伝説を形づくろうとするドラマティックでロマンティックな物語だった。

この前代未聞のプロジェクトは、総工費も400億円となり、延床面積2万6千㎡、建設期間も2年を費やした。館内外には、オーナーが集めた世界各国の美術作品が、いたるところにちりばめられている。また大きな特徴として、通常では美術館に展示されるような作品の数々が、ここでは建築と融合する形で展示されている。1993年には、優れた建築作品と設計者に贈られる村野藤吾賞を受賞。

螺旋 SPIRAL

螺旋 SPIRAL

うっとりするような曲線美。宙に浮いたような螺旋階段は建築とアートの融合そのものだ。ゴージャスな空間の中で俯瞰的に見ると、綺麗に収まっているように見える階段も、近づくにつれ独特のデザインや存在感が際立って見える。一度だけでは視界も心にも収まりきらない、職人たちが考え抜き、理想を追い求めた数々の遺産がそこにはある。職人たちはが自らの夢を原動力として、昼、夜と関係なく創作に明け暮れた。柱は石膏マーブルというヨーロッパでは古典の技術を採用。現在はほとんど使われていないこの手法を日本の左官職人の手によって再現した。磨き抜かれた仕上がり、堂々とした柱はメインロビーの壮大なドーム屋根を支える存在に。アートが建築を支え、建築がアートを支えている。この広い、ホテル川久は目に見える全てが芸術的なのだ。そして、夢を夢で終わらせない強靭なこだわりがある。

門口 ENTRANCE

門口 ENTRANCE

門口 ENTRANCE

最高の技術と創造力で形づけられたホテル川久。贅沢な空間には、夢と理想を追い続けた職人たちの想いや作品が、あの時代の美しい姿のまま保存されている。制作現場で、計画書で決まったこと以外にもアドリブやユーモアの効かせた技で、新しい技術に挑戦した。彼らは職人であり表現者だった。今でも語り継がれることが多いホテル川久の職人たち。当時の空気、温度を感じてほしい。21世紀の夢を追い続けた者たちが作り上げた芸術的遺産が、新たに「川久ミュージアム」としての一歩を歩み出す。

ここは、ものづくりに夢や命をかけてきた者たちが残した、世界にひとつの”夢の理想郷”である。

ここは、ものづくりに夢や命をかけてきた者たちが残した、世界にひとつの”夢の理想郷”である。

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夢は、時代の想像力であり、時代の贅沢である。川久は、これまでも、これからも、永遠に「夢人たちの楽園」であり続けるだろう。書籍「夢人たちの楽園」より
いつの時代も地球は広く、私たちの常識は狭い。書籍「夢人たちの楽園」より
馬鹿馬鹿しいことを、馬鹿馬鹿しいほどまじめにやり続けると、やがて「馬鹿馬鹿しい」とちょっと言えなくなる凄いものができる。書籍「夢人たちの楽園」より
夢を見ることが、理想を語ることが、難しい時代だと言われる。しかし、すべての芸術的創造が、夢なくして推し進めることができないように、ホテル川久は多くの夢人たちの力によって、1991年の完成を見ようとしている。書籍「夢人たちの楽園」より
ホテル川久プロジェクトを、ビジネス用語で語ることはできない、現代の効率的かつ合理的な方法論から最も遠くにあるものが、あるいは私たちの理想であったかもしれない。私たちは、ただ夢の行く末を見届けようとする情熱とロマンがあった。書籍「夢人たちの楽園」より
建設過程は21世紀の楽園伝説を形づくろうとするドラマティックでロマンティックな物語である。書籍「夢人たちの楽園」より
我々はこのホテルの目指すところと関係者の情熱に打たれて最大限の努力をした。私にとってこの仕事は生涯における最重要のものである。書籍「夢人たちの楽園」より